Munot【ムノート/円形城塞】の屋上より異国情緒を味わいながら一息ついたところで、お腹が空いていることを思い出す。 時刻は15時25分..
そうだ(*゚ー゚)q ここでランチタイムをとろう!
こんなこともあろうかと、今朝ホテルで作ってきたサンドイッチをこっそり鞄に忍ばせておいていた。 ナイフがないので手で適当に千切ったパンに割れ目を入れ、チーズとスライスされたサラミソーセージを強引に押し込んだだけのものを屋上のベンチに座りながら頬張る。 余りにも雑な作りなので写真は撮らなかったけど、ハイジも愛したこの材料は最強の組み合わせだ。
パンは固めで噛みごたえがあって、塩分の割合がちょうどいいKazu好みの味で、プロセスチーズとサラミの油がジュワッと口いっぱいに広がったところを街中の売店で購入したコカ・コーラで流し込む。
うまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうま・・・・・・・・・
物価の高いスイスでの一人旅は、こういった自由なスタイルもアリだな( ̄ρ ̄) 次に渡航することがあったら、ナイフとタッパーを持ってこよう(((u u*)
さて、お腹も満たされたところで観光のつづきと参りましょう。
らせんのスロープを下りて東側へ延びる道を歩いて行くと、石で造られた穹窿状のドームに繋がっていた。
ドーム内は、所々天井から差し込む自然光だけで薄暗く、Kazu以外に誰もいなくて薄気味悪い。
ドームの西側にはBergfrideのフィッシュテールよりも大きな銃眼が設けられているが、実際この城が戦争で標的になることもなかったとか。 ゆえにMunotは軍事施設の一貫としてではなく、Schaffhausenの「権力」、「富」、「防衛力」の象徴として建設されたのではないかという説がある。
ま、つまるところErker【エルカー/出窓】一つとっても「富の象徴」を競う文化の人たちが、市議会の決定に基づき、円形城塞まで造っちゃったよ( ̄◇ ̄*)ノ゙ ということなんだろうなぁ。。 ならばいっそのことこの城も、Erkerの如くゴテゴテにデコってほしかったなぁ( ̄ρ ̄)

【『City Maps 2Go』】
ここから先は番号順にルートを辿って、Fischerhäuserstrasse【フィッシャーホイザーシュトラーセ/漁師の家通り】に出てみよう。
①城塞に繋がる階段の入口
②城塞の出入口
★Bergfride【ベルクフリート/主塔】
③穹窿状のドーム
④空堀の上に架かる橋
⑤Fischerhäuserstrasseへ下りる階段
北側にも設けられた出入口から出ると、④印の橋が架けられていて、その先には
緑いっぱいの公園や、
整備された緑地が広がっていた。
緑が美しい―――。
やはりスイスでも、日曜日は家族と公園で過ごすスタイルが主流のようだ。
少し離れた場所からどどんと佇むMunotをキャメラに納めてみる【◎】]ω・´)パチッ。
1564年-1589年の25年の年月を経てこの状態に築き上げられたMunotは、「難攻不落の城」と呼ばれていたSalzburgのFestung Hohensalzburg【フェストゥング・ホーエンザルツブルク/ホーエンザルツブルク城塞】とはまた違った迫力があって、これはこれでいい(u u*)
城を囲む空堀には、欧州の城郭建築物などに見られる円筒型をした三基のターレットと呼ばれるばれる小塔があり、通常は敵の兵士を中から銃などで攻撃するための建物だけど、はたしてこれは軍事利用か装飾か、その目的は謎である。
――――― そんな謎に包まれた城を後に、そろそろ街へ..
街へは上ってきた中央階段以外に二つのルートがあって、東側の⑤印に延びる赤いラインのRömerstieg【レーマーシュティーク/ローマ人が登った(階段)】と、西側に延びるHirschweg【ヒルシュヴェーグ/鹿の道】がある。 ここはサクッとルートの順に古代ローマのいにしえに浸れそうな東側へ下りて行ってみようヽ(。ゝω・)ノ
往路とは逆に幅の広い緩やかな階段が朝からアクティブなKazuにちょうどいい。
階段の段差も行きほどではなく、手すりも備え付けられているので、お年寄りの方はこちらからのアクセスをお勧めする(((u u*)
下りた目の前はFreier platz【フライアー・プラッツ/ゲスト広場】で、その広場があのPhyfallexpress(機関車型のバス)の発着地になっている。 今回の観光ルートをMunotからのRheinfall【ラインファル/ラインの滝】でPhyfallexpressに乗って行っていれば、大失敗をやらかすことはなかっただろう。 だけど.. これはこれでいい(u u*)
長くなりましたので、つづきは中編10で(✿ゝω・)ノ
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