12月14日から5日間入院していました。 しかも緊急入院、緊急オペ。。
40年間生きてきた中で、「至急」や「大至急」なんて言葉は仕事や日常でよく使う言葉だった。 もたもたしている相方に対しても「大至急やってよねー(*`д´)ノ゙」なんてのもよく言っていたけど、自分の身に「緊急」の文字を突き付けられたのは生まれて初めてのことで、入院と手術を重ねて告げられたときには少しパニック状態で頭の中が真っ白になった。
それは妊娠7週6日目のことで、4週1日目の診察から筋腫の影に隠れたり、エコーが反射するせいで胎嚢の位置が確認できず、この頃から子宮外妊娠の疑いをかけられて、クリニックより紹介状を渡され総合病院へ転院。 7週6日目にやっとその形を見せた位置が予想通りの卵管だった。 それまで腹痛や出血もなく、どうか腹腔内で確認されますようにと祈る思いでいたので、そのショックと相方と連絡が取れない(出張続きで約半月不在だった)ことで不安の波がどっと押し寄せてきて倒れそうになった。 HCGの数値は上昇し続けていたので、直ぐに手術をしなければ卵管が破裂する危険性があった。 そうなったら輸血が必要になることもあるし、へたすりゃ命の危険も。。 緊急というのはそういう意味だったのだ。 主治医(以下、ヒロシ)は、そういった説明をいつもの口調で淡々と伝え、手術には家族の同意が必要なので直ぐに家族の人を呼んで下さい。 と告げて診察に戻った。 そんなこと言ったって、相方は羽田―伊丹間の空の上。 小一時間は連絡がつかない。 やむを得ずその間に血液検査、尿検査、レントゲン、心電図、肺活量といった術前検査を受ける。 伊丹空港に到着した相方に電話が繋がり直ぐに来てもらうように伝える。 予想されていた入院だったので、準備していたキャリーバッグも持ってくるように伝えた。 その後病室に案内され点滴の針を血管に入れられる。 (研修医のような若い医師で、一度失敗されてイテテな思いをした。)
あぁ・・ もう逃げれない。。
その後相方が到着してヒロシより手術の説明を受ける。 腹腔鏡手術でヘソ部分を2cmほど切って腹腔鏡で見て着床部分の卵管を摘出し、子宮内膜を掻把する予定で手術時間は一時間程度、麻酔方法は全身麻酔。 静脈麻酔で意識レベルを落とすので、肺に管を挿管して呼吸を確保するといった説明だった。
手術は15時半から1時間ほどの予定だったが、もう一方の卵管も癒着があったのでそれも摘出した分、倍の時間が掛かったと麻酔から覚めたときに相方から聞かされた。 Kazuの感覚では麻酔で意識を失ってから覚めるまで、一分といった感じだった。
そんな一瞬の出来事で手術自体はあっと言う間に終わったのだけど、問題はこれから。。 麻酔でもうろうとした意識から徐々に覚めてくると、Kazuの体が器具でがんじがらめ状態になっていることに気が付く。 その不自由さといったら「不快」を通り越えて「辛い」という表現... いやそれ以上だろうか。。 その装着は7点に及び、 酸素マスク、心電図、点滴、着圧靴下&血栓予防の着圧器、尿管、血圧計、パルスオキメーターがKazuの体に装着されていた。 血圧計と血栓予防の着圧器は、各一定の間隔で圧迫してくる。 静かな四人部屋の病室に着圧器のプシューンという音と、酸素マスクのスーーーといった音がよく響く。 同室の方々に申し訳ない気分になり、それが夜中中続く ・ ・ 更にこの着圧器のデキが悪く、脚を立てると外れやすく その都度外れたことを知らせる音がピーーーピーーーピーーー ・・・ と鳴る。 その音で目が覚めるのと、24時過ぎに地震があったのとで。。 そんなこんなで一時間おきに目が覚めた。 その後中々寝付けないので睡眠導入剤の点滴を足してもらい、数時間眠れたのも束の間。 明け方背中の激痛で目が覚める。 寝返りが打てない一定の姿勢のせいで背中と肩、首が痛い。 またナースコールを鳴らして痛み止めの点滴を足してもらって少しましになり朝を迎える。 殆ど眠れぬ状態で睡眠不足。。
翌朝、やっとデキの悪い着圧器を取ってもらい、同時に血圧計、心電図、酸素マスクが徐々に外され、自力で歩行が出来ると尿管も外れた。 外す瞬間、にゅるんといった管の感触が気持ち悪い。 装着時はというと、残尿感があって気になって仕方がなかった。 そんな不快な器具たちから解放され、腹腔鏡手術で切ったお腹を庇いながら歩行運動を始める。 ヘソを切っているので、腹筋に力が入りにくく腹圧が掛かる度に傷口が痛む。 その翌朝の回診で、ヒロシに今日も院内を歩くようにいわれ「はい♪」と返事をしたものの上げ膳据え膳のベッドの上が快適になってきて堕落し始めていた。 成人してから大きな病気一つすることなく健康そのものだったから、自由が効かない病院なんてとんでもないと思っていたけど、歩行ができるようになると入院生活も悪くない。 しいていえばマジックハンドが欲しい。 体を引っ張る体制を取る度に、傷口が突っ張りイテテ(> <) の状態になるのだ。
朝昼晩と看護師さんが体温と血圧を測りに来て、食事状態とガスが出たか、排便が有ったかなどを毎回訊かれる。 初日から一日半、絶食だったので食事が始まるまでガスが出なかった。 そんな時、病室の向かいの若い女の子も同じ問診で「はい ・ ・ ガスでましたぁ。 トイレで...」と場所まで答えていた。 若いし、まだそういった質問に恥じらいがあるのだろう。 恥じらいをなくしたKazuは、パーテーションの向こうで
「場所は訊いてないんじゃないの!?」
と心の中で突っ込み、Kazuが出たときにはどう答えようか考えてしまった。 その翌朝、ヒロシにまで訊かれ、デッカイ声で張り切って「ハイッ(*・∀・)/ 出ましたー!」と答えた。 何ならオナラで答えましょーか? という勢いだった。(←まだそういう技は持っていないけど ・ ・ )
食事も順調で、術後二日目に点滴が外され、術後の経過も良く予定通り5日間の入院で19日に退院しました。
入院中はFBでの励ましのコメントやメール、退院後にはお花やお菓子を贈って戴きまして、ありがとうございました。 今はすっかり快復して、日常の生活を送っています。
皆さまの温かいお心遣いに深謝。。